インドネシアの歴史

インドネシアは異なる民族や言語、宗教が混在しながら、それぞれが独自の伝統を持ち合わせて一つの国家として成立しています。強大な王朝の興亡、欧州列強の植民地化、そして激動の独立運動といった過去によってインドネシアのアイデンティティは形作られ、現代に至るまで社会、政治、文化に深い影響を与え続けてきました。古代からの遺産、豊富な自然、深い歴史、多彩な文化を持つこの国がインドネシア共和国として独立するまでの歴史をご紹介します。

◯「インドネシア」という名称

 現在では「インドネシア」という名称は地名、国名として定着していますが、実は比較的新しい造語なのです。1850年シンガポール在住のイギリス人弁護士でジャーナリストのローガンが東南アジア諸島部全域を示す地理的用語として、「インド」にギリシア語で島の意味のネーソスの複数形ネシアを繋げたことが始まりです。1920年代にマレー人による民族運動が強まった時期に、彼らは「オランダ領東インド」という呼称を嫌い、「インドネシア」を民族のアイデンティティを示すものとして使用するようになって一般に広がったと言われています。そして1923年に後に初代副大統領になるハッタを中心として「インドネシア協会」を設立した際に「東インド」ではなく「インドネシア」という呼称を使いました。その後、第二次世界大戦後にオランダから独立したときに「インドネシア共和国」という国号が選ばれました。

◯人類の黎明期から

 中部ジャワのサンギラン遺跡でジャワ原人(ピテカントロプス)の化石が発見され、100万年前から人類が存在していたと考えられています。やがてモンゴル系のマレー人が中国やベトナム辺りからインドネシアへ移住し始め、その後紀元前1世紀にはインドの貿易商達がインドネシアへ渡り、ヒンドゥー教文化と仏教文化をもたらし、当時は特にインドと中国との間での交易が盛んでした。

 長年にわたってさまざまな外来文化や宗教がもたらされ、インドネシアの社会と文化に深い影響を与えました。こうした交流が後の王国時代の繁栄へと繋がっていき、現在に至るインドネシアの文化的多様性の基礎を築きました。

◯王国時代

 7~13世紀にかけてマレー半島からスマトラ島にかけてシュリーヴィジャヤ王国が仏教国として栄え、東南アジアで最も強大な海洋王国としておよそ600年間勢力を誇りました。中央ジャワに存在したマタラム王国のシャイレーンドラ朝は8~9世紀に世界最古の仏教寺院であるボロブドゥール寺院を建設しました。

 ジャワ島東部には11世紀にクディリ朝、13世紀にはシンガサリ朝が興り、独特の芸能であるワヤンクリなどを生みだしました。13~15世紀に渡り強大なヒンドゥー王国マジャパヒトが東ジャワの大部分を支配していました。その後インドネシア全域とマレー半島の一部も統合しました。この黄金期の名残りはジョグジャカルタ付近のプランバナン寺院群や東ジャワのペナタラン寺院・ディエン高原の遺跡群など、ジャワ島内のいたるところで見ることができます。この時代、ヒンドゥー王国や仏教王国が栄え、壮大な建築物や寺院の多くが建造され、この後に来るイスラム文化と融合しながら独特のインドネシア文化の基礎を築きました。

 15世紀には東南アジアのイスラム化が進み、スマトラ島北部にサムドラ=パサイ王国と言われるイスラム教国が生まれました。それ以後は、16世紀ジャワ島東部にマタラム王国(前述王国時代のマタラム王国とは別の国)が現れ、ジャワ島西部のバンテン王国との抗争が続きました。また、スマトラ島北部にはアチェ王国が生まれ、インドやマレー方面との交易の中継地として繁栄しました。この時代は、イスラム教が伝来して急速にイスラム化が進むと同時に、この豊かな国の存在はヨーロッパにも知られるようになります。

 この時代は、経済的な繁栄だけでなく、文化や芸術、建築でも遺産を後世に残しており、今日のインドネシア文化の根底も作り上げました。

◯植民地時代

 16世紀末にポルトガル人が到来、その後オランダ、スペイン、イギリスも進出して香辛料取引を支配しようとしました。なかでも17世にはオランダ東インド会社を設立したオランダがジャワ島のバタヴィアに拠点を置き、1623年のアンボイナ事件でイギリス勢力を排除して、現在のインドネシアの版図での植民地化に乗り出しました。

 現在のインドネシアに相当する島嶼部をほぼ支配するようになったオランダは、この地域をオランダ領東インドとして植民地支配を行いました。1830年にオランダ領であったベルギーが独立してからは、オランダは東インドの植民地支配をさらに積極化させ政府栽培制度を導入し、サトウキビ、コーヒー、香辛料などの輸出を独占する仕組み作り上げました。それに対して現地での反植民地運動が起こり、ジャワ戦争やパドリ戦争、1873年に始まったアチェ戦争などが続きました。結果として、オランダの支配は資源の搾取と厳しい支配体制により、インドネシアに多大な苦難をもたらしました。このオランダの支配は約300年、第2次世界大戦が始まるまで続きました。

◯インドネシアの独立

 植民地支配に対する抵抗運動は、次第に独立を指向する民族運動に成長していきました。20世紀に入りインドネシア民族主義運動がようやく明確な動きとなって表れました。具体的には、第一次世界大戦後の1920年アジアで最初の共産党であるインドネシア共産党が結成され1926年武装蜂起しましたが失敗に終わり、オランダに対する民族抵抗運動はこの地域を単一の国家として独立させようという民族主義的な独立運動が主流となっていきました。

 この民族独立運動は、多くの島々からなる各地域ごとに異なる宗教や文化をもっていることから困難をきわめました。しかし、「多様性の中の統一」を掲げることによって民族の独立とともに、統一を目指す運動としての性格を強めていきました。1927年に民族の統合と独立をめざす指導的な組織として作られたインドネシア国民党によるこの運動はオランダ当局の厳しい弾圧を受け続けました。

 そしてついに1945年8月17日、第二次世界大戦の日本敗戦の後、当時の指導者であるスカルノ氏とハッタ氏によってインドネシアの独立が宣言されました。しかしすぐには自由は認められず独立戦争が続き、1949年にはオランダが再度植民地化をはかりました。それは国際的非難を受け1949年12月27日、ついにオランダはインドネシアの主権を認め、インドネシア共和国として正式に独立しました。

ざっくりとインドネシア独立までの変遷をまとめてみましたが、文化や宗教が複雑に折り重なったインドネシアの歴史はもっと奥深いものです。今後も折に触れて深掘りしてみたいと思います。

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